供養

人の生死を扱った内容ですので、こちらでずっと公開するかどうかわかりませんが、父の死去に伴いつらつらと文章をつづってみました。 宜しければ読んでみて下さい。
2012年3月4日 有馬啓太郎 拝
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2012年1月某日午後2時24分  父・政勝が死んだ。 自分は丁度原稿の入稿を控えて必死に作業中であり、部屋にはアシさんもいた。 その二日前には父と電話で会話をし翌日には見舞いに行くと伝えてあった。 数時間前まで意識はしっかりしており、急変したらしい。 母が車に父の着替えを取りに行って帰ってきたときには目をむいて悶絶状態になっていたそうだ。 おそらく急に気管が詰まってしまったのだろう。 ガンが食道と気管を圧迫しているという報告は受けていた、だからそのせいで急に気管が詰まったりしないよう管を通して気道を確保するといった処置を決めたばかりの出来事だった。 
ガンの告知を受けたのは1年ほど前、肺ガンだった。 抗ガン剤治療を続けてはいたが、昨年秋頃から再発したガンの進行は早く、年末から病状は急激に悪化。 一週間ほど前に余命はひと月程度との宣告を受けていた。 とほいえ先述のとおり二日前には話をしていた事もあって、まだ余裕があるような気がしていた。 気にしていた事もあったから、次に会ったらそのことについて話をしたいと思っていた。 母がずっと病院に詰めていたので仕事が終わった後には交代して二人きりになったときにでも話そうかと思っていた。 結局、余命宣告をされた際に少しだけ話をしたのを最後に直接会って話をすることはできなかった。 この商売をやっていると親の死に目に会えないなどと良く聞いたことはあったけれど、本当にそうなるなんて思ってもみなかった。 ビックリだ。 
正直、父のために出来たことなんてあまり思いつきません。 だから思い出を文章にして、こうやって発表しようと思いました。 変なところで父と私は似ていると思っていますし、数ヶ月前に苦笑しながら父もそう言っていました(主に駄目な方向で)。 だとすれば、誰かの心の隅にちょこっと記憶として残っているのは多分嬉しいだろうと思うので、良かったら読んでやってください。
「お前と俺は変なところが似ているなぁ」と私に対して言っていた父は、息子の自分から見ても結構な変わり者だったと思う。 今まで数人の友人に紹介したことがあるけれども、皆一様に「面白い人だ」という評価をしてくれていますし、皆の感想から察するに印象に残るタイプの人であったであろうと思っています。 
大学を出た後に親類縁者の会社に勤めたあと数年で退社。 仕事を何箇所か転々とした後、友人主催の雑誌立ち上げに参加してオール関西という雑誌の記者をしていたとのこと。 自分が物心ついた頃には記者を辞め、土地・建物・地域開発関係のマーケティング会社を立ち上げ関西電通さんの下請業者としてコンサルティング業をしておりました。 どうやら雑誌記者などをする傍ら関西一円の住宅マンション等の広告チラシを集め続け、地域ごとの価格動向などを把握することでコンサルとしての立場を築いていったようです。 バブル期にはソコソコ景気が良かったようです、バブル絶頂のさなか末○興産の社長に「生涯年収の何倍もする住宅を売り続ける商売なんてもつわけがない」と言ったら仕事干されかけたけど、お陰でバブル崩壊の後も仕事をもらえたw などとよく言っておりました。 その後、時代の移り変わりとともに経験と独自の情報収集能力で生き延びてはいたものの、徐々に仕事が少なくなり、ここ数年は”会社は在っても開店休業”状態で苦しい懐事情であったようです。 「さっさと会社をたためば良かったのに・・・できなかった」と11月頃に口にしておりました。  「お前もそうだが・・・俺もなんというか芸者みたいなもので、結局舞台に上がって踊るのが好きなんだな」「もうやめよう、と思っているのにお座敷から声がかかるとな、なんか嬉しくなってひょいひょいお座敷に出ていってしまうんや・・・・だからな会社つぶし損ねてしまった、ロクに売り上げないのになあ」「・・・最後のお座敷はせっかく呼んでもらったのに、うまく踊れなかったわ」そんなことを言っておりました。 変なところが似ている息子としては、わが身にも痛切にかぶってくるその言葉にどう返答すべきか悩んでしまって、ずっと答えを考えていて、自分なりの回答を伝えることなく逝かせてしまったのが少し心残りです。
子供の頃の父との思い出はほとんどございません。 忙しく働いていた父はせいぜい週に1日くらいしか帰宅せず、ずっと会社にこもっていたようです。 知らないところで何かあった可能性も否定はできませんが、自分と変なところが似ているので浮気とかそんなんじゃないだろうな~と想像がつくのは・・・少し悲しいですが、まあそんな感じ。 家族旅行などもほとんどした覚えがありません。  父とまともに会話をするようになったのは高校生になってから、仕事の手伝いでバイトをするようになってからでした。  父がプレゼン用に使う地図の色分け作業、今ならパソコンで一瞬に出来てしまうような作業ですが、当時は刷り出した資料を丁寧に色鉛筆で塗り分けていました。 「なんだ、今まで近所の大学生とか専門学校生使ってたけどお前の方が上手いな」と言われたのがすごく嬉しかったのを覚えています。 内容的に関係ありませんが、自分はとても残念な子供でしたので、何か実際に社会に対して役に立っているような感覚を得られたのは非常に貴重な経験だったと思っています。 また、父の仕事内容を聞くようになって、いろいろ目的意識を持つようになったのもこの頃でした。 父の仕事は先述しましたとおりマーケティングリサーチとコンサルタントです。 顧客がどのような商品の求めているのか、商品の存在をどのように伝えれば買ってもらえるのか。 そういった提案をすることでお金をいただいておりました。 正直今の自分にはそれだけで商売が出来るとは全く想像が出来ないのですが、少なくともそのような思考が存在することを知ったことで、自分自身の行動に重要な理由を(言い訳)をでっち上げることが出来るようになりました。 私は子供のころから徹頭徹尾漫画家になりたいと思っていたのですが、おかげでこの頃受験をするということに非常に嫌気がさしていたんです。 本心では常に芸大に進学して絵を勉強したいと考えていました。 しかし母の圧力が強くとてもそういうことが言えるような環境ではありませんでした。 何かの圧力に屈している情けない存在の様な気がして勉強にも身が入らなかったのですが、ふとこれから先漫画家になる為にはどういった発想が必要かと考えた際に「一番漫画を買ってくれそうな読者が多い環境に自分自身をおいて読者と感覚がずれないようにしよう」と思うようになりました。 これで急激に自分自身との折り合いがつくようになり、だいぶ気が楽になったのを今も覚えています。 公立高校を卒業して私立大学に進学し、就職する。 当時関西在住していた学生の典型的なパターンを漫画作成と同時にやってみようと変な納得をして行動に移したのは父との会話がきっかけです。 まあ、現在の自分からすれば、経験として役には立ったモノの、実際に作家になるための必要な行動とはとても言えず、とんだ茶番でもあるのですが、それでも今の自分があるのは数少ない父との会話の賜物であったなあと切に思います。(母にとってはとんだ親不孝ルート選択だったわけですが)
さて、他にも印象的なエピソードがありますので、少し紹介させていただきますね。
~値段付け間違い事件~
おそらく私が浪人していた頃か大学生なりたての頃だと思いますが、朝に新聞の折り込み広告で表記価格が明らかに一桁間違っている商品を見つけました。 以前から欲しかった商品であり大体の相場を把握していたので間違い有りません。  面白がって珍しく家にいた父にそのことを話したら。急に「じゃあ、ケイタ君(仮名) スーツ来てお店に行こうか」と言い出しました。 訳わかりませんが、とりあえずスーツ姿になり興味津々で父の運転する車に乗り込みます。 すると車の中で父が言い出しました「ケイタ君、これからその広告を持ってお店に行って”この広告にあるこの値段のこの商品を売ってくれ”と言いなさい」「・・・えっ!?コレ値段間違ってるからこの値段じゃ売ってないよ」「広告に書いてある以上その値段の商品はあるはずやろ?そう言い続けたら店長出てくるからやってみろ」 
・・・正直、訳わかりません。 というか店に因縁つけてこいと言われてるとしか思えません。 全身全霊で拒否しましたところ、店の前まで行って車を素通りさせていきました。 
「そうか、イヤか?」「絶対イヤ!」「じゃあ、しゃあないけどなケイタ君」       
「やるヤツはいるぞ」  
・・・なんというか、教育だとは思うんだけどかなり嫌な緊張を強いられました。 ちなみに一桁間違っていた値段ですが、なんとなく高い方に一桁違っていたような気がしています。
~職業はスパイ~
久しぶりにあった従弟と親族の話になって「有馬家は金儲け下手だよね~」とか埒もない話していたときの事です。 「子供の頃、ボクと姉さんで政勝叔父さん(父)に聞いた事があるんだ、”叔父さんの職業ってなんなの?”って、そしたら・・・」「親父なんて答えたんだ?」「オレは”スパイ”だ!って」「は!?」「ス・パ・イ」「親父・・・訳わかんねえ」「わかんないでしょ、だから聞いたの”スパイって何するの?”って、そしたら・・・」 
「”辛い仕事だ、時には女子トイレに入らねばならないこともある”だって」
・・・・この話が20年近く前の話じゃなかったら本気でドン引きです。 残ってる資料やらなにやらから別に産業スパイでも盗撮癖の有る人物でもなかったようですのでホッとしていますが、オッサン何を言っとるんじゃと。
 このように色々と奇行・怪発言の目立つ人物でしたが、物事のとらえ方、分析の仕方は常に新鮮で面白く。 それは晩年になっても変わりませんでした。 入院以降、特に昨年3月11日震災の日に吐血したことによる急激な肺機能低下現象が起こってから、自己の健康不安に起因する周囲との感覚差・神経症的発言が見受けられるようになりましたが、父との政治や業界談義は変わらず有意義で楽しい時間でした。
父が亡くなったのが午後であった事もあり、通夜はその翌日に、葬儀はその翌々日に行われました。 式場は、生前の父自身と母の希望もあり実家で静かに家族葬としてとりおこなわれました。 ここのところ葬儀というと、どこかの会館などを借りて行われるお通夜・葬祭に参列する事が多かったので、当初は”スペース的に大丈夫か?”等と心配事ありましたが、結果的にアットホームで良かったなあと思っています。
入院したことを父は人に伝えようとしませんでした。 病状の事も人には言うなと言われていました。 昨年11月頃までは再起・社会復帰することしか頭になかったと思います。
病状の悪化が目に見えて激しくなった頃、数十年前に父の相棒として仕事を切り盛りして下さっていた方が神奈川から見舞いに来て下さいました。 大阪に住む娘に会いに来たついで・・・という嘘をでっち上げて戴き、色々探りを入れて貰いました。 「当時の仕事仲間に会いたいか?」と聞いたところ「会いたくない」と答えたそうです。 けれど最後に「オレは、あのグループの中じゃ出来悪かったんでな」と言っていたので本音がわからないともおっしゃっておられました。 動けなくなった自分を見せたくないというプライドと懐かしさと、きっと色んな感情が複雑に絡まっていたのでしょう。 また、この半年で私も知らなかった新しい側面が色々見えてきました。 私に対しての接し方と母&妹に対する接し方の違い、ぶっちゃけ母や妹には甘えているということが見えてきたり。 息子の私に対しては何とか見栄を張ろうとしているのが伝わってきていました。
そんな訳で、入院した事自体おおっぴらにせず。 ましてや死去した事もどこまで連絡すべきかわからなかったため、葬儀の事はほとんどお知らせなどしておりませんでした。 にもかかわらず、数少ないツテと妹の職場の同僚からの情報で、父の葬儀にはかつての取引先から数名の参列者が来て下さっていました。 中には全く別のご縁で私とつながりがあった方などもおられて、その方が一時期父の会社に在籍していたことがあったという話を伺って驚かされたりもしました。 死に至るまで、特にここ数ヶ月は苦しかったでしょうし、死の瞬間にも辛い思いをした事でしょう。 けれど父の死に顔は驚くほど綺麗に整っていて、最後に会っていただいた、かつての最前線で戦っていた父の姿を知る人たちにご覧いただいても、何ら遜色のない静かな表情をしていました。
父が亡くなって一月、かつての父の生活域周辺では今でも私が知らない父の記憶に出会う事があります。 クリーニング店に行ったとき、マッサージに行ったとき「もしかして息子さん?最近親父さん見ないけど元気!?」などと話しかけられ、一様に面白いだの変だの勝手な感想をお伺いする羽目におちいります。 この文章の最初の方でも述べていましたが、会った事のある私の友人達にも大概何らかの印象が残っている・・・そんな人でした。 上手く踊れなくなった親父に、死ぬ前に、言うべきかどうか悩んで、結局言えなかったのは
「死んでも記憶に残ってる」そんな感じの言葉です。 色々しゃべって、人に伝えるのが好きな人でしたから、まあ喜んでもらえるだろうと思っています。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。

5件のコメント

  1. こんなにあったかい、よくわからない文章、初めて読みました。おそらく混乱しっぱなしなのにきちんとまとまってる文章って、すごいと思います。
    とにかく「書く!」という選択をする、そのときの原動力って何なんだろう。よくわからない。
    RewriteのというかKeyのファンでいて良かったと思います。
    ああ、でも、4ヵ月と20日も前の文章なんですね。今はどんな思いでいらっしゃるんでしょう。経験則に過ぎませんが、周囲が「落ち着いたかな?」と思える時がかえって落ち着いてなったりします。とにかく、どんなスタンスでも、ラクに過ごせる空間があったら良いなと思います。甘えられるところがあったら良いなと思います。
    すみません。とにかく、なるべく無理なさらないですむ環境が整っていたらいいなと思います。
    ハーベストフェスタ、いろいろ考えながらやります。(爆

  2. ああ、こういう感想いただいていたんですね。 気づいてなくてもうし訳ございませんでした。 ありがとうございます!

  3. ちしゅー様
    先の投稿も貴方に対しての返信ですが、とりあえず大事なことを伝え忘れました。
    ハーベストフェスタ楽しんで下さい!!

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